田中聡子さん 50年前にイメージトレーニング!インターバルトレーニング! [プールサイド]
□2019.2.28
長距離ランナーが全く走れなくなる病気・ぬけぬけ病を初めて知りました。
ぬけぬけ病は、まだ原因がよくわかっていないそうです。
長距離ランナーにかかわらず、アスリートは全く競技できなくなることがあるようです。
竹宇治(旧姓・田中)聡子さんは、60年前のローマ五輪1960の100m背泳ぎの銅メダリストです。
竹宇治聡子さんも、全く泳げなくなってしまった時期があったようです。
その時期を乗り切ったのが、今では当たり前になっているトレーニング法ですが、イメージトレーニングとインターバルトレーニングだったようです。
福岡・築地女学園高校に進学した直後、1985.5のアジア大会(東京)で、日本新記録で優勝しました。
ところが、その直後頃から、体調を崩し全く泳げなくなってしまいました。
ドクターストップもかかりました。
当時指導していた八幡製鉄の黒佐年明コーチは、当時の200m背泳ぎの世界記録のラップを示し、体を動かさなくていいから、目をつぶって頭の中で、このタイムで泳いでみようと提案したそうです。
現在のイメージトレーニングです。
黒佐年明コーチが今度提案したのは、50mを42秒で泳いで30秒休憩、それを10本繰り返すという新しい練習法でした。
現在のインターバルトレーニングです。
当時としては画期的なイメージトレーニングとインターバルトレーニングで、竹宇治聡子さんはめきめきと力を伸ばし、競技を再開した高校2年生の夏、日本選手権200m背泳ぎで世界新記録を樹立しました。
筑紫女学園高校卒業、八幡製鉄所(現・新日鉄住金)に入社します。
ローマ五輪1960の100m背泳ぎの銅メダリストです。
ベルリン五輪1936の200m平泳ぎ金メダリスト・前畑秀子さん以来、24年ぶり日本人女子2人目のメダリストです。
御年76歳、今も元気に水泳教室で指導を行っています。
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長距離ランナーが全く走れなくなる病気・ぬけぬけ病を初めて知りました。
ぬけぬけ病は、まだ原因がよくわかっていないそうです。
長距離ランナーにかかわらず、アスリートは全く競技できなくなることがあるようです。
竹宇治(旧姓・田中)聡子さんは、60年前のローマ五輪1960の100m背泳ぎの銅メダリストです。
竹宇治聡子さんも、全く泳げなくなってしまった時期があったようです。
その時期を乗り切ったのが、今では当たり前になっているトレーニング法ですが、イメージトレーニングとインターバルトレーニングだったようです。
イメージトレーニング
竹宇治聡子さんは、嘉島中学校1年の夏に熊本選手権で優勝、3年では100m背泳ぎの中学記録を塗り替えました。福岡・築地女学園高校に進学した直後、1985.5のアジア大会(東京)で、日本新記録で優勝しました。
ところが、その直後頃から、体調を崩し全く泳げなくなってしまいました。
ドクターストップもかかりました。
当時指導していた八幡製鉄の黒佐年明コーチは、当時の200m背泳ぎの世界記録のラップを示し、体を動かさなくていいから、目をつぶって頭の中で、このタイムで泳いでみようと提案したそうです。
現在のイメージトレーニングです。
インターバルトレーニング
半年後ようやく医師の許可がおり、プールに復帰しました。黒佐年明コーチが今度提案したのは、50mを42秒で泳いで30秒休憩、それを10本繰り返すという新しい練習法でした。
現在のインターバルトレーニングです。
当時としては画期的なイメージトレーニングとインターバルトレーニングで、竹宇治聡子さんはめきめきと力を伸ばし、競技を再開した高校2年生の夏、日本選手権200m背泳ぎで世界新記録を樹立しました。
竹宇治(旧姓・田中)聡子さんプロフィール
竹宇治(旧姓・田中)聡子さんは、1942.2.3生まれ、長崎・佐世保市生まれ、御年76歳です。筑紫女学園高校卒業、八幡製鉄所(現・新日鉄住金)に入社します。
ローマ五輪1960の100m背泳ぎの銅メダリストです。
ベルリン五輪1936の200m平泳ぎ金メダリスト・前畑秀子さん以来、24年ぶり日本人女子2人目のメダリストです。
御年76歳、今も元気に水泳教室で指導を行っています。